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石橋財団コレクション

ピエール=オーギュスト・ルノワール

リモージュ(フランス)、1841−カーニュ=シュル=メール(フランス)、1919

4歳頃に家族と共にパリに出ます。経済的に貧しく、陶器の上絵付けの仕事をしました。国立美術学校で学ぶかたわら、官展派の画家シャルル・グレールのアトリエ(画塾)でモネ、シスレー、バジールと親交を結びます。1869年にセーヌ河下流のラ・グルヌイエールでモネと制作した行楽図は印象主義の誕生を示す作品群です。マネの影響下にあったバティニョール派の仲間たちと74年にいわゆる第1回印象派展を開き、第2回展(76年)と第3回展(77年)までは熱心に参加しました。モネとともに光と大気の効果を追求して戸外制作にもとづく風景画を描くかたわら、都市風俗にも早くから関心を示します。80年代初めにアルジェリアやイタリアに旅行。その後、アングルやラファエロなどの古典主義絵画の研究をします。その頃に結婚したアリーヌ・シャリゴとのあいだに3人の子供が生まれました。晩年はパリとカーニュ=シュル=メールに住み、豊満な裸婦像や女性像を多数制作しました。
ピエール=オーギュスト・ルノワール《すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢》1876年
ピエール=オーギュスト・ルノワール
《すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢》
1876年 油彩・カンヴァス

青色のドレスを着て同じ色の靴下をはいたこの少女は、大きな椅子に腰掛けています。画面を支配する青色は、少女の目の周りの影の表現や、髪の毛や床の絨毯にも施されています。足の組み方は少しおしゃまな感じもしますが、このポーズは晩年の裸婦像にも用いられます。モデルはルノワールのパトロンだった出版業者シャルパンティエの長女(当時4歳)です。シャルパンティエはゾラやモーパッサンなどの小説を出版して成功し、自宅に芸術家や政治家など招いて夜会を開きました。この作品は1877年の第3回印象派グループ展に出品されたもの。ルノワールはモネやピサロと同じく戸外で風景画も描きましたが、同時に人物画や風俗画にも挑戦しました。
印象派とその周辺