Seascape 海 2017 CALENDAR

毎年ご好評いただいているブリヂストン美術館カレンダー。
2017年は「海」をテーマに石橋財団コレクションより12作品を選びました。
天候や季節によって様々に姿を変化させる海の姿は、多くの画家たちによって多様な表現で描かれてきました。
この特集ではカレンダーをよりお楽しみいただけるように、各月の作品や関連する場所をご紹介します。
神話や物語に登場する「海」から、「海」をイメージさせる抽象的な作品まで、
東西の画家たちによる風景画としてのジャンルを超えた様々な作品をご堪能ください。

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1月 クロード・モネ《黄昏、ヴェネツィア》1908年頃1月 クロード・モネ《黄昏、ヴェネツィア》1908年頃

1908年10月、モネは知人の誘いで妻アリスとともにヴェネツィアを訪れました。この旅行は、健康状態と視力の減退に悩まされていた当時のモネにとって、気分転換になりました。そして、ルネサンス以来、多くの画家たちを魅了してきたヴェネツィアは、モネをも虜にします。12月までの間に30点あまりの作品を制作し、それをジヴェルニーのアトリエに持ち帰って徐々に仕上げていきました。1912年5月、29点のヴェネツィア作品だけの展覧会を開き成功をおさめます。夕日に染まる海に浮かんでいるのは、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島の教会です。青・緑色からオレンジ色を経て再び青・緑色まで、空と海はまさに色彩の交響曲のようです。

2月 青木繁《わだつみのいろこの宮》1907年2月 青木繁《わだつみのいろこの宮》1907年

『古事記』上巻にある海幸彦、山幸彦の物語の、綿津見(わだつみ)の宮の場面を題材にしています。「わたつみ」とは海の神のこと。兄の海幸彦から借りた釣針をなくした弟の山幸彦が、釣針をさがして海底へと降ってゆくと魚鱗(いろこ、うろこ)で造られたような宮殿があり、海の女神トヨタマヒメ(豊玉姫)(画面向かって左)とそれに仕える侍女にであう場面が描かれています。青木はこの作品を恋人福田たねの実家があった栃木県芳賀町で制作し、1907年春から上野公園で開催された東京勧業博覧会に出品し、三等賞を受賞しましたが、その結果に不満だったようです。

3月 パウル・クレー《島》1932年3月 パウル・クレー《島》1932年

音楽に関心を持っていたクレーは、画面の中に音符や楽譜を思わせる記号を好んで描き込みました。そればかりでなく、「ポリフォニー」という音楽の方法論を絵画の世界に取り入れました。ポリフォニーは、異なる旋律がそれぞれの本分を失うことなく同時に進行していく形式の音楽のことです。日本語では「多声楽」と訳されています。この作品には、褐色の地肌に薄く広がる赤や青や黄の色彩、島を形作る太い線、それに画面一面を覆いつくす「点点」。この3つの旋律を個別に鑑賞しながら、それらが競合しながら調和する画面の全体を楽しむことができます。この作品に見られる「点点」の手法はシニャックやマティスやモンドリアンに連なる点描技法とは異質です。

4月 藤島武二《淡路島遠望》1929年4月 藤島武二《淡路島遠望》1929年

古くから別荘地として開けた神戸市舞子から眺めた淡路島を描いています。ここは明石海峡が最も狭くなっていて、現在は明石海峡大橋が架かっている場所です。60歳代以降の藤島は、風景画家といってもよいほど精力的に各地の風景を描きました。62歳のときのこの作品は、その新境地を開く出発点ともいえるものです。南に向かって下る斜面には、畑や木立に混じって洋館を含む複数の家屋がバランスよく配されています。その向こうにひろがる海面は、波もなく穏やかというよりも、むしろのっぺりといったほうがよいほど単純に絵具が塗られています。対岸の淡路島も水平に広がって、空と海を分けるためにそこに存在しているかのようです。

5月 ラウル・デュフィ《ドーヴィルの突堤》制作年不明5月 ラウル・デュフィ《ドーヴィルの突堤》制作年不明

ドーヴィルはカルヴァドス県の町です。かつては漁村でしたが、19世紀からリゾート地として整備されました。以後パリのブルジョワがこぞって休暇を過ごす地となり、1863年には近隣のトルーヴィルに鉄道が開通し、さらに栄えました。港がある他、宮廷と見紛うヴィラやカジノ、ホテルを擁する町となりました。1906年の冬、ル・アーヴル出身のデュフィはここを盛んに描いており、それら作品の洗練された色彩と開放的な空間を持ち味とする作風は完成の域に達しています。柔らかい色調と賦彩に、デュフィ独特の繊細な感性をうかがうことができます。

6月 金山平三《港》c. 1945-566月 金山平三《港》c. 1945-56

高いところから見下ろす視点でとらえられた港町の光景です。金山独特の斜めの構図により、奥行感が強調されています。海は遠くまで広がり、いつの間にか空につながっています。船は見る者の視線を奥へと導き、なかでも白い波しぶきをあげ港から出て行く船はこの絵に運動感をもたらしています。どこの港が描かれているのか確かではありませんが、おそらく生まれ故郷の神戸の港ではないかと推測できます。この作品は、1956年に開催された「金山平三画業五十年展」で初めて発表されました。現時点では、制作年をしぼるのはむずかしく、同展の出品目録で「第三期(昭和20年終戦から現在まで)」に分類されているのが唯一の手がかりとなっています。

7月 古賀春江《海水浴の女》1923年7月 古賀春江《海水浴の女》1923年

この作品の制作地・芦屋は、筑豊炭田とともに発展した遠賀川河口に位置し、当時海水浴場としても知られていました。1922年冬、夏にも訪れたこの地に、古賀は再び逗留します。9月に二科賞受賞の快挙を遂げ、東京・上野の展覧会場を訪れた古賀は、周囲の絵のうまさに驚いたこと、以前と比較して総体的に柔らかく、色が綺麗で、明るく軽くなっていることを、故郷の先輩画家松田諦晶に報告しました。その2ヵ月後、「『海水浴』で失敗して悲観している、しかしまたやりなおす」と、再び報告しています。古賀は、この作品で、大正期に大衆の娯楽として盛んになった海水浴という新しい題材を取りあげ、色鮮やかな水着の女性たちを表しました。

8月 青木繁《海》1904年8月 青木繁《海》1904年

横長の画面の上部に狭く水平線をとり、その水平線より遠く流れ寄せてくる海流が、近景として配置される岩礁にあたって砕け、白い波濤となって上下左右に揺れる海の光景が描かれています。この作品は《海の幸》と同じ1904年夏に房州布良海岸で制作されたもので、画面上部左上に噴煙をなびかせている火山は伊豆大島とのことです。岩礁や波濤の描写にモネなどフランス印象派の影響が認められますが、青木流に咀嚼されています。この作品は青木没後長く詩人蒲原有明の所蔵品でしたが、蒲原はこの作品について、「魔術者の描いた画」とよび「青木君はこれを描くに独創的で、自由で大胆なアンプレツシオニズムを行つたのである」と評しています。

9月 ポール・シニャック《コンカルノー港》1925年9月 ポール・シニャック《コンカルノー港》1925年

コンカルノーはフランス西部のブルターニュ地方にある港町です。1891年夏、シニャックは愛用のヨット「オランピア号」に乗ってここから船出したことがありました(着いた先はコート・ダジュールのサン=トロペです)。後年シニャックは、フランスの港町を訪ねて水彩による「旅日記」を残しますが、1925年にコンカルノー港を再訪したときは油彩画も制作しました。この作品はそのうちの1点です。スーラの始めた点描技法による色点は、シニャックによってモザイク風の小片の筆触に変化します。この作品では、空も海も、その間に見える船も灯台も、青色やピンク色やオレンジ色や黄色の小片で表現されています。装飾的な華やかさが感じられます。

10月 ウジェーヌ・ブーダン《トルーヴィル近郊の浜》1865年頃10月 ウジェーヌ・ブーダン《トルーヴィル近郊の浜》1865年頃

ノルマンディー海岸のトルーヴィルは1863年に鉄道が開通すると、パリから多くの裕福な上流市民たちが余暇を楽しみにやってくるようになりました。こうした鉄道や行楽地の開発事業を進めたのは、皇帝ナポレオン3世の義弟モルニー男爵でした。彼はウジェニー公妃を巻き込んで、この海岸を高級行楽地に作り上げたのです。ブーダンは行楽地となったトルーヴィルや近くのドーヴィルの光景を描き、好評を博しました。画面の上半分は空が広がり、下半分に横に長く配置された行楽客たちはふたつのグループに分けられています。左グループの右端に立つ男性はロトシルド(ロスチャイルド)男爵、左側グループの中央に座る白い衣装の女性がウジェニー公妃です。

11月 アンドレ・ロート《海浜》1922年頃11月 アンドレ・ロート《海浜》1922年頃

フランスでは、19世紀に鉄道網が発達したことで、都市に住む人びとが郊外での余暇を楽しむようになりました。かつては医療行為と考えられていた海水浴も、レジャーとして人気になりました。ファッションに注目すると、女性たちは、20世紀初頭にコルセットから開放され、より活動的な装いになります。女性たちの水着も、体全体を覆い隠すものから、濡れても動きやすい機能的なものへと変わりました。1920年代以降、短いスカートのついた水着や、スカートのないワンピース型の水着が流行しました。そのような流行の水着を、この作品の二人の女性も身につけています。ロートは、平面を強調した幾何学的形態で画面を構成する一方、同時代のファッションにも関心を持っていたことがわかります。

© ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2016   C1185

12月 野見山暁治 《風の便り》1997年頃12月 野見山暁治 《風の便り》1997年頃

全体を覆う水色に、大きなV字を描くような形、ところどころ塗り残された白の地。画面下方の水色で薄塗りされた部分には、異なる色がうっすら透けてみえ、奥行きを感じさせる上、奔放な筆致は、動く風の気配を表しているようにも見えます。1976年野見山は福岡の志摩町(現・糸島市)にもアトリエを建て、それ以降、バルコニーから眺めた海、空、風といった自然を題材に、何点もの作品を描きました。この作品もそのアトリエでの制作です。客観的、写実的な描法で対象を再現するのではなく、対象の量感やその存在の醸す雰囲気を再現することに強い関心をもつ野見山は、風という手で掴むことのできない対象の刻々と変化する様を、この作品で表しています。