学芸員が選ぶ隠れた名作

青木繁《顔》1903-04年、色鉛筆、淡彩・紙 石橋財団ブリヂストン美術館

青木繁《顔》1903-04年、色鉛筆、淡彩・紙 石橋財団ブリヂストン美術館
闇から白く浮かび上がる男の顔。夢かうつつか幻か。
ぐしゃぐしゃっと試し描きしたように重なる色鉛筆の線、なにもなかったはずの紙上に突如飛びだしたかのような顔のイメージは、まるで異空間から登場した幻影のようで、思わず目を凝らしてしまいます。顔を囲うように施された斜線や朱の淡彩によって巧みにうみだされた暗部。明暗の差によって、顔が浮かび上がってきたように見えます。

れは、作品の魅力のみならず、数々の伝説的エピソードによって多くのファンの心を惹きつけてやまない、明治期の画家青木繁(1882-1911)の画学生時代の作品です。東京美術学校在学中の1903年、青木は、黒田清輝らが主宰する白馬会第8回展へ《黄泉比良坂》をはじめとする神話画稿十数点を出品し、最高賞である白馬賞を受賞、画壇デビューを果たします。そして、その翌年の白馬会展へ《海の幸》などを出品して、さらに注目を集めました。

《顔》は、まさに画壇に認められはじめた頃の作で、当時の青木が色鉛筆の効果や、配色、明暗のコントラストに関心を寄せ、幻想的な表現を追究していたことを表しています。水色、青、茶、ピンク、黄など色鉛筆の線を並置したり、重ねたり、青木が色の組みあわせを確かめた同時期の習作もほかに残されています。また、青木を一躍有名にしたデビュー作のひとつ《黄泉比良坂》(東京藝術大学蔵)では、水彩絵具やパステルのほか、色鉛筆が用いられ、暗い黄泉の国と光に照らされた現世、闇と人物が青と黄を基調に描きだされました。その神話画稿群について「おばけ画」と揶揄する者もあれば、神秘だと讃美する者もあったと、後輩画家の正宗得三郎が伝えています(注)。この神秘とも茫洋とも評された青木独特の表現方法に、色鉛筆が一役かっていたといえるでしょう。

館には、このほか顔を題材にした色鉛筆の作品に、同年制作の《自画像》(fig.1)があります。これは、油彩による《自画像》(fig.2)の下絵です。まだらな背景、顔や体にみられる影など、《顔》《黄泉比良坂》にも見出せる青と黄を基調とする配色や明暗のコントラストが異なるかたちで表現されています。

15㎝四方の紙に描かれた《顔》はそう目立つ存在ではありません。 ですが、このように同時期の作品とあわせて考えることで、初期作品にしばしば用いられた色鉛筆の技法や、配色、明暗の表現方法について青木が模索した跡をたどることのできる作品です。青木を美術史上に浮かびあがらせた美術史家河北倫明の著作『青木繁 生涯と藝術』(養徳社、1948年)においても、本作品は扉絵として用いられました。
(注)正宗得三郎「追想記(その四)」『青木繁画集』(政教社、1913年)p.96
fig.1
青木繁《自画像》1903年、色鉛筆・紙
fig.2
青木繁《自画像》1903年、油彩・カンヴァス